刃が、月光を浴びてぎらりと鈍く輝く。


滴る一筋の紅き雫は銀によく映える。世辞にも見目麗しいと言えぬ男から流れ出たそれは、世闇に溶けて酷く美しい。
目前に横たわる、その男に息はない。頭ではそう理解していても、もう一度。振りかざした刃は音のない首筋へと急ぐ。
彼女の、の手がその意に反して震える。これほどまでに綺麗に殺人を犯すのに、その殺気は鈍かった。


刃を握らぬ左手が、右手に添えられる。目の前の、この男の始末を頼んだ彼の冷たい声が、表情が頭の中で反芻する。





――――あんなにつめたい人なのに、なぜ。





頬を、腕を、体を。強く風が叩きつける。それは意思を持たないはずなのに、彼女の“行為”を嗜めるかのようだった。刃が肉に食い込む感触はいつになっても慣れないまま。その手だけが、意思を持たず、ただ“彼”の命令を忠実に遂行していた。










錆びたドアノブは、いやに冷たく感じられた。ガチャリ、と音を立てて扉が他の進入を許す。

中にいた少年が、ドアノブの音にあわせて顔を上げる。今視界に入れたばかりなのに、その表情は彼女が、がここにいることを予測していたかのような表情だった。




「如何でしたか、。」





尋ねているはずの声音は、しかし、絶対の成功を要していた。が無傷であること、返り血に塗れていること―――死んでいないこと。それが、なによりの証拠だったのかもしれない。





「無事、完了いたしました…」






妙に落ち着いた声が出せた。反芻するつい先程までの情景は脳裏にこびり付いたまま。その行為の総てがの意思に反しているはずなのに、目の前の彼は―――骸だけは、とても満足気。その微笑みは、優しいはずなのに、酷く、冷たい。



平静を保っていたはずなのに、保ちたいのに・・・脳が、本能がどこかでそれを拒否していた。
目の前の彼も、その場の空気すら寸分の乱れも見せないのに、自分だけが感情を乱しているかのような感覚。それすらも楽しむかのように、目の前の彼は一層微笑みを増した、かのように見えた。




「どうしたのですか、。」





また。あの笑顔。是非を問うのはその文字だけ。声の色に、表情に、瞬間に見せた、あの何もかもを見透かすような目に、背中がぞくりとする。その場にある総てが凍りつくほど冷たいのに、捕らえた人を決して放さない。


感覚を思い出した手が、微かに震える。知らないはずがないのに、分かっているくせに、分からないふりをして、楽しそうに、嗤う。




この微笑が、賢しさが、糸のように心に絡んで離れない。その笑みを脳裏に浮かべるたびに心臓がつきりと痛んだ。とても冷たいのに、とても恐ろしいのに、その声が、目が、唇が、骸という存在の全てが、の心を捉えて離さない。





かつり、腰を上げる。いつも、が見る限り座っているだけの彼の動きは、だがしかしとても身軽だった。
静かな部屋に、骸の足音はよく響いた。一つ一つの動きに視線が釘付けになる。


ふわりと、気がついたときには彼の腕の中にいた。


惹かれているはずなのに、いとおしいはずなのに、その彼の行為に心が動かされることがなかったのは、その力のこめ方が、命あるものを扱うそれとは異なっているから。それなのに、すぐ傍にいる“彼”の存在が、1ミリたりとも動くことを許さないかのような、そんな雰囲気をかもし出していた。


「ご苦労でしたね、


優しく、しかし自分の所有物を扱うかのように、その腕に力をこめる。耳元でささやかれたその言葉に、感情がこもっていないことは、もよく知っている。


「期待、していますよ」


―――ああ、どうして、こんな風に嗤えるのだろう。


そうやって、最後にまた、優しく。この世のものとは思えないほど冷たいのに、最後だけ、凍りついた心も溶かしてしまうほどに、優しい。人という人全ての感情を知り尽くしたかのような、そんなやり方。頭では理解しているのに、危険だと、かかわりたくないと、理性が警告するのに、その優しい笑みにも、悪魔のような冷笑にも、本能が惹かれていた。





「失礼いたします―――骸、様・・・・」

離れて、彼が腰を落ち着けた後、頭を垂れて、そうつげる。後に訪れた静寂は、だがしかし、とても彼に似合っていた―――





が去った後の部屋は、しんとして、夜闇よりもさらに深遠。窓から入る月光に、少年の顔がよく映える。その顔は、確かに、嗤っていた。何かを含んでいるような、総てを知り尽くしたかのような、そんな笑み。


「愚かなものですね…人間の感情、なんてものは。」



―――だから、とても面白い。




















2008.2.29
08.3.1〜 紅也ちゃん主催企画、『枷』に提出させていただいた作品です。
このサイトにおいては骸は初!(というかそもそも骸が初)となるわけですが、これをきっかけに増やしていければなー…と…!
全ては悲恋になりますが(それか世間様の骸とはあまりにもかけ離れた骸)
柄の薔薇はなんとなく、です。特に意味もなく(綺麗だったので)
とりあえずこんな「人で遊んでる感」が私なりの骸解釈(間違ってる…)





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