二月、二日。
女性の部屋にしてはやけに色の無い壁を彩る、女性らしい、といえば酷く女性らしい時計。どちらかといわれればシック、というよりも甘い印象を受けるそれは、愛おしい彼が、無機質なお前の部屋に、とプレゼントしてくれた品だった。
真白い壁、それを、空に浮かんだ太陽のように彩る時計。色とりどりの花のデザインが施されたそれは、刻一刻と、「2月4日」が近づいていることを知らせる。時計に住み着く三人の兄弟が、それぞれが正確にその歩を進めていた。
携帯電話に表示された、「2月2日」の文字。そこに映ったデジタル時計は、遠い国にいるあの人――ディーノに、一番近いものであるはずなのに、なぜか、壁の色よりも遠く感じられた。
3兄弟が、いっせいに12の文字を通過する。2月3日が、携帯のデジタル時計に顔を見せる。同じ地球の上で同じ時間を過ごしているはずなのに、彼をおいて、自分だけが‘三日’へと進んでしまった感覚。
―――あと、一日。
国を離れた彼との距離を結ぶ、彼からもらった唯一の手段であるはずなのに、そのデジタルは同時にを時差という壁で引き離す。浮かんだ2の文字は、彼にとって1であるはずなのに。
ディーノとの距離を克明にあらわしていた‘2’が、『ディーノ』という文字へと変化を遂げる。部屋に流れた機械音は、がディーノと初めて一緒に聞いた曲だった。ディーノとつながった瞬間、本当にその一瞬だけ、その携帯電話が‘優しい’と感じた。それは機械音があらわす歌のせいなのか、ディーノと近づけたからなのか、それはにも分からない。
飾り気の無い携帯電話を手に取る。ディーノから、彼との連絡用にともらったそれは、やけに手になじまない。携帯の画面に刻まれていたのは「ディーノ」の文字だけ。それだけなのに、まるで彼がそこにいるかのような錯覚に陥った。
「…はい」
「…ああ、チャオ、。…わりぃな、真夜中に。」
少しだけ遠く、くぐもって聞こえる声。反応は遅いけれど、その声は確かに愛おしい彼そのものだった。冷たい鉄の塊を通して、彼の温かみが伝わる。耳元で響くその声が、先日も話したはずなのに、酷く暖かく、そして、切ない。
「全然、起きてたから、平気よ」
本当は、眠るはずだった。そう告げることはなく、自然とその言葉が口をつく。マフィア間の抗争、財政問題の解決、キャバッローネ界隈の治安の維持…挙げればきりのない彼の仕事の数々。その合間を縫ってまで頻繁に電話をかけてきてくれる、その彼の優しさがとてもありがたい。
「…ごめんな、4日、行けなくて」
ぽつり。告げられたのは謝罪の言葉。一言一言吐き出すように伝えられたその言葉には、音の一つずつに申し訳ない、というディーノの念がこめられているようだった。おそらく、知らない言語でその言葉を伝えられたとしても、その念だけは充分に察知できたのだろう。
「あ、全然気にしないで!お仕事は頑張らなきゃいけないし」
マフィア、聞きなれないその職業の頭、それだけの言葉でディーノがどんな仕事をしているのか、には図り知ることも出来なかったが、想像も出来ないほどの責任を担い、数え切れないほどの人の‘命’を背負っているのだということくらいはにも分かる。
それでも。
彼を祝いたいと―――会えなくて、寂しいという気持ちは変わらずの心のうちに残り続けた。ディーノを困らせたくないと、その一心が理性となって、言葉は決して伝えられることはなかったが、それでも、感情で微かに、本当に微かに、携帯を握る手が震えた気がした。
携帯を持つ手に力をこめる。落とさないように、彼とのつながりが消えないように。それは、見えない場所に、あまりにも高い場所にいる彼を、見失わないようにするためだったのかもしれない。
「お前…無理、してないか?」
一瞬だけ、訪れた沈黙。それは時差でも、まして声が遅れて聞こえるせいでもない。彼が突然告げた言葉がを驚かせる。確かに、隠していたはず、なのに。それでも、ディーノが告げた言葉は、酷く直接的だった。たずねている、というよりも、彼の確信をそこに感じる。
「情けねぇな、愛した女を、悲しませるなんて」
「そ、そんなこと…!」
冗談交じりの声で、言う。その暖かさに、胸が締め付けられた。どうしようもなく優しくて、うれしいのに、無理をしていると、少しでも感情が出てしまったのかと、そんな自分が情けなくなる。慌てて訂正しようとしたのに、その先の言葉がうまく伝えられない。決して寂しいとは伝えないけど、‘寂しくない’、なんて。口が裂けても、いえそうにない自分を悔いる。
「あんま無理すんな。は、らしいのが一番だ。」
一言一言、彼女がずっとほしかった言葉を、臆すこともなく伝える。余すことなく、心の傷にしみこむその言葉は、超能力でもあるのではないかと一瞬疑うほど、正確だった。
「…ありがとう」
もう、それしか伝えられなかった。の考えてることを、の総てを分かっているかのような言葉の数々がそうさせる。きっと、それこそが‘彼’であり、その、総てを包みこんでくれるような包容力に、惚れたんだと、改めて実感した。
「・・・こんなに想って貰えるんだ、来週こそは、顔見せに行かないとな?」
「…うん…ありがと。」
勤めて、明るく。自分らしさは、今まで生きてきた年月をかけてもよくわからないけど、思った一言を告げてみる。少しだけ、彼が電話の向うで、穏やかに微笑むのが見えた、気がした。
「何、プレゼントしてくれるんだ?それで。」
いたずらっぽく、それも大人なはずの彼なのに、酷く彼らしい。いたずらっぽく微笑んで、で少し遊ぶようなことをするのもまたディーノだった。
「ひみつ。言ったらつまらないでしょ?」
それは、だいぶ前から用意していたプレゼント。整えられた机の上におかれた、小さな箱と、2組のDVD。
「取っておきのもの、だから。楽しみにしてて。」
「ああ。」と、そういった彼は、口には出さなくても、とてもうれしそうだった。
「あんまり背伸びしすぎるな」と、そう諭した彼の言葉を思い出す。ディーノがプレゼントしてくれたあのかわいらしい掛け時計は、彼に追いつこうとしたにたいする、最初のアドバイスだったのかもしれない。‘らしく’。無理に彩られるわけでもなく、かといってシンプルすぎない、そのかわいらしいその時計が、彼にとって、大人を気取るではなく、自身のイメージと重なったのかもしれない。
切られた電話の、デジタル時計を、イタリアの時間に合わせる。たったそれだけのことなのに、彼との時間が妙に近づいた気がした。
From
To Dino
4. Febbraio lunedi 0:00
誕生日、おめでとう。
来週、楽しみにしててね。
日本からのメールを受信する。
短く、祝う言葉だけ。とても簡素だったけれど、それは忙しい彼への気遣いだったのか、それとも。
たった一言だけなのに、とても感情のこもったその言葉に、思わずディーノは笑みをこぼす。気付けば、右手に握っていたペンを置き、携帯電話を手に取っていた。
From Dino
To
4.febbraio lunedi 0:00
Grazie!来週、楽しみにしてるぜ。
愛してる。
2008.2.3 蓬月 玖珠
気取る、という単語を調べてみたら「心を配る」という意味があったので、こういった解釈になってしまったのですが、果たして大丈夫なのでしょうか…。
つたない文章ではありますが、ディーノさん、お誕生日おめでとう!ということで、提出、させていただきます。
2008.2.3〜2008.3.1まで0204fes様にて掲載させていただいておりました。一応続きなんかも用意してたりしてなかったりするので、お手数ですが、一度ブラウザバックでmainページに戻ってからご覧くださいませ〜。